なぜ、千葉の南部(房州)でうちわ作りが大々的に行われるようになったのでしょう。

房総半島南部(房州)は海流の影響により温暖な気候で、良質な竹が取れます。

一方、うちわ作りのルーツは江戸にあります。

元々房州は竹を東京に送り出すだけの竹の産地でした。

明治時代になると職人を東京から房州に呼び寄せてうちわ作りを行う人が現れました。そして漁師のおかみさんたちの手内職としてうちわ作りは歓迎され、母から娘にその技術が受け継がれるようになりました。

大正時代に起きた関東大震災の影響で東京のうちわ産業は壊滅的な被害を受けました。そのときに東京から房州にうちわ問屋が移ってきたことで、房州で大々的にうちわが生産されるようになり、三大うちわといわれるまでになったのです。